エンタテインメントの無限の可能性を信じて——仲間と共に歩み、仕事を楽しむ
株式会社ソニー?ミュージックエンタテインメント 代表取締役社長 CEO 村松 俊亮さん
2022/06/30
立教卒業生のWork & Life
OVERVIEW
所属アーティストがヒットチャートを席巻し、日本の音楽業界をけん引し続けるソニー?ミュージックエンタテインメント(SME)。音楽以外にもアニメやモバイルゲームなど多角的に事業を展開する総合エンタテインメント企業で現在、代表取締役社長CEOを務めるのが村松俊亮さんだ。
子供の頃から映画、音楽、漫画などが好きで、エンタテインメントに親しみながら育った。立教大学在学中も「あらゆる遊び、娯楽を楽しんだ」という。大学4年次の就職活動では、「自分が味わったような感動を多くの人に届けたい」という思いからエンタメ業界やテレビ局などを志望。
CBS?ソニーグループ(現SME)入社後、若手時代は営業や販売促進の業務に勤しむ。
「営業の時はCDショップを回り、所属アーティストのCDをできるだけ多く、良い場所に置いてもらえるよう、時には衝突しながら店舗と交渉していました」
入社10年目の33歳の時に、アーティストの作品づくりに関わる制作部門へ異動。しかし、ヒットに恵まれず迷走。「会社を辞めることを本気で考えた」と話す。
そうした状況を上司が見かねたのか、大阪への転勤を言い渡される。そして、それまで一匹狼だった村松さんが初めて部下を持つこととなった。
「若い社員に楽しく働いてもらいたいと思い、とにかく密なコミュニケーションを心掛けました。その時に初めて会社って楽しい、仕事って楽しいと思えたのです」
大阪時代は販売促進を担当し、主に関西メディアへの働き掛けを行った。当時は、ゴールデンタイムのドラマ主題歌になればCDが100万枚売れる時代。しかし、キー局のドラマは競合他社や芸能プロダクションが占拠していた。他方、「逆ネット」と呼ばれる、地方局が制作した番組が全国ネットで放送されるケースも存在する。村松さんは、そこに活路を見いだした。
CBS?ソニーグループ(現SME)入社後、若手時代は営業や販売促進の業務に勤しむ。
「営業の時はCDショップを回り、所属アーティストのCDをできるだけ多く、良い場所に置いてもらえるよう、時には衝突しながら店舗と交渉していました」
入社10年目の33歳の時に、アーティストの作品づくりに関わる制作部門へ異動。しかし、ヒットに恵まれず迷走。「会社を辞めることを本気で考えた」と話す。
そうした状況を上司が見かねたのか、大阪への転勤を言い渡される。そして、それまで一匹狼だった村松さんが初めて部下を持つこととなった。
「若い社員に楽しく働いてもらいたいと思い、とにかく密なコミュニケーションを心掛けました。その時に初めて会社って楽しい、仕事って楽しいと思えたのです」
大阪時代は販売促進を担当し、主に関西メディアへの働き掛けを行った。当時は、ゴールデンタイムのドラマ主題歌になればCDが100万枚売れる時代。しかし、キー局のドラマは競合他社や芸能プロダクションが占拠していた。他方、「逆ネット」と呼ばれる、地方局が制作した番組が全国ネットで放送されるケースも存在する。村松さんは、そこに活路を見いだした。
立教大学在学時。左が村松さん
「親しくなった地方局のプロデューサーが逆ネットの昼ドラマ担当になり『ぜひ主題歌に、うちの新人アーティストを!』と猛プッシュしました」
それが、ガールズバンドWhiteberryだった。『夏祭り』(JITTERIN’ JINNのカバー曲)が起用され、爆発的なヒットを記録。翌年、同じ枠のドラマの主題歌には、ガールズバンドZONEの新曲が起用され、これも大ヒット。2年連続で新人をブレイクに導いた手腕は本社でも話題となり、1年半で東京へ戻る。
「迷走した制作担当時代に辞めることは簡単でしたが、何も成し遂げないまま去るのは嫌だった。あの時に辞めていたら、いまの私はありません」
それが、ガールズバンドWhiteberryだった。『夏祭り』(JITTERIN’ JINNのカバー曲)が起用され、爆発的なヒットを記録。翌年、同じ枠のドラマの主題歌には、ガールズバンドZONEの新曲が起用され、これも大ヒット。2年連続で新人をブレイクに導いた手腕は本社でも話題となり、1年半で東京へ戻る。
「迷走した制作担当時代に辞めることは簡単でしたが、何も成し遂げないまま去るのは嫌だった。あの時に辞めていたら、いまの私はありません」
人生のあいうえお。愛、命、運、縁、恩を大切に
周りがハッピーでいることで自分もハッピーになれる
東京では小規模レーベル※1の宣伝課長に就任。大阪時代と同様に部下と「楽しく」仕事をすることに注力していると、社長から呼び出しがあった。
「8つあったレーベルのうち最大規模のレーベルの代表を務めてほしいと言われました。『村松のところは、社員が楽しそうに、高いモチベーションで仕事に取り組んでいる』という理由からでした」
100人以上の社員が在籍する新天地のレーベルには「年上の部下」も多く、当時39歳の自分が代表を務めることを容易に受け入れてもらえないと思ったという。そこで村松さんは大胆な行動に出た。
「いま注目している新人が売れなければ代表を退く、と最初の会議で言ったのです」
そのアーティストが沖縄出身のロックバンドORANGE RANGEだった。
「彼らはデビューからスマッシュヒットを連発しました。そこからいろいろなことが軌道に乗り始めたんです」
その後、レーベルの統合などが続き、村松さんの担う領域はますます広がっていく。
「統合されるレーベルの社員の気持ちは複雑なものです。一緒に壁を乗り越えていこうという思いで一人一人と面談し、プッシュしたいアーティストなど、それぞれの考えに耳を傾けました」
ボトムアップで意見を吸い上げ、社員と共に仕事を楽しむ姿勢は、SMEの社長を務めるいまも同じだという。
「周りがハッピーに働いてくれることで、自分もハッピーになれる。この考えは36歳で初めて部下を持った時から変わりません」
村松さんには昔から大切にしている言葉がある。父親から授かった「人生のあいうえお」。愛、命、運、縁、恩を大事にしていれば大丈夫だと教わった。
「特に縁と恩を大切にしたら運が巡ってくると、これまでの人生で実感しましたし、社員にも折に触れて伝えています」
※1 レーベル:レコードやCD、配信などの音源を制作する会社や部門、商標。
会社内に、ジャンルなどによってレーベルを複数設けることがある。
「8つあったレーベルのうち最大規模のレーベルの代表を務めてほしいと言われました。『村松のところは、社員が楽しそうに、高いモチベーションで仕事に取り組んでいる』という理由からでした」
100人以上の社員が在籍する新天地のレーベルには「年上の部下」も多く、当時39歳の自分が代表を務めることを容易に受け入れてもらえないと思ったという。そこで村松さんは大胆な行動に出た。
「いま注目している新人が売れなければ代表を退く、と最初の会議で言ったのです」
そのアーティストが沖縄出身のロックバンドORANGE RANGEだった。
「彼らはデビューからスマッシュヒットを連発しました。そこからいろいろなことが軌道に乗り始めたんです」
その後、レーベルの統合などが続き、村松さんの担う領域はますます広がっていく。
「統合されるレーベルの社員の気持ちは複雑なものです。一緒に壁を乗り越えていこうという思いで一人一人と面談し、プッシュしたいアーティストなど、それぞれの考えに耳を傾けました」
ボトムアップで意見を吸い上げ、社員と共に仕事を楽しむ姿勢は、SMEの社長を務めるいまも同じだという。
「周りがハッピーに働いてくれることで、自分もハッピーになれる。この考えは36歳で初めて部下を持った時から変わりません」
村松さんには昔から大切にしている言葉がある。父親から授かった「人生のあいうえお」。愛、命、運、縁、恩を大事にしていれば大丈夫だと教わった。
「特に縁と恩を大切にしたら運が巡ってくると、これまでの人生で実感しましたし、社員にも折に触れて伝えています」
心救われるエンタメを世界の誰もが渇望している
若手社員時代。会社のデスクにて
村松さんに仕事の醍醐味を聞くと、このような答えが返ってきた。
「最初は観客が10人に満たなかったアーティストが、1年後にはライブハウスを満員に、5年後にはドームツアーを実現できる。自分が好きだと思ったものに人々が共感し、その輪が広がっていく喜びは何ものにも代えがたいですね」
サブスクリプションなどが伸長し、変化を遂げる音楽業界については「いまがチャンス」と捉える。
「CDの時代は、週のベスト10に入っても翌週には姿を消していることがよくありました。ストリーミングが主流の現在は、ロングテールでヒットする作品が増えています。良い曲がスピーディーに浸透し、かつ何度も聴き続けられる環境になったのです。そもそも音楽はそういうものだと思うんですよ。同じ映画を複数回観る人は少ないですが、音楽は同じ曲を1000回だって聴くことができる。音楽は自分の人生を演出する“名脇役”だと思っています」
新型コロナウイルス感染症の感染拡大が音楽業界に及ぼした影響は小さくない。しかし「このような時代だからこそ、心救われるエンタテインメントを世界中の誰もが渇望していると実感しました。私たちの業界には、そういう無限の可能性がある」と希望を見いだす。
「立教の学生にはぜひ、その可能性に挑戦してほしい。立教は自由で遊び心のある大学だと思うので、日本のエンタテインメントを背負って立つ人材が育ってほしいですね。そのためにも大学時代は目一杯楽しむことが大切です。寝食を忘れて没頭できるものを見つけてください」
「最初は観客が10人に満たなかったアーティストが、1年後にはライブハウスを満員に、5年後にはドームツアーを実現できる。自分が好きだと思ったものに人々が共感し、その輪が広がっていく喜びは何ものにも代えがたいですね」
サブスクリプションなどが伸長し、変化を遂げる音楽業界については「いまがチャンス」と捉える。
「CDの時代は、週のベスト10に入っても翌週には姿を消していることがよくありました。ストリーミングが主流の現在は、ロングテールでヒットする作品が増えています。良い曲がスピーディーに浸透し、かつ何度も聴き続けられる環境になったのです。そもそも音楽はそういうものだと思うんですよ。同じ映画を複数回観る人は少ないですが、音楽は同じ曲を1000回だって聴くことができる。音楽は自分の人生を演出する“名脇役”だと思っています」
新型コロナウイルス感染症の感染拡大が音楽業界に及ぼした影響は小さくない。しかし「このような時代だからこそ、心救われるエンタテインメントを世界中の誰もが渇望していると実感しました。私たちの業界には、そういう無限の可能性がある」と希望を見いだす。
「立教の学生にはぜひ、その可能性に挑戦してほしい。立教は自由で遊び心のある大学だと思うので、日本のエンタテインメントを背負って立つ人材が育ってほしいですね。そのためにも大学時代は目一杯楽しむことが大切です。寝食を忘れて没頭できるものを見つけてください」
※本記事は季刊「立教」260号(2022年4月発行)をもとに再構成したものです。バックナンバーの購入や定期購読のお申し込みはこちら
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
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プロフィール
PROFILE
村松 俊亮
代表取締役社長 CEO
1987年 立教大学経済学部経済学科卒業
1963年大分県生まれ。87年、CBS?ソニーグループ(現ソニー?ミュージックエンタテインメント)入社。2002年、ソニー?ミュージックレコーズ代表取締役執行役員専務。2008年ソニー?ミュージックエンタテインメント コーポレイト?エグゼクティブ レーベルビジネス第1グループ代表。2015年、同社取締役。2020年より現職。現在、ソニーグループ上席事業役員、日本レコード協会会長を兼任。